旅路が故郷

 

私は旅で移動している時に一番ほっとしている

イタリアと故郷、日本を往復する時は仕方なく飛行機を利用するが、ヨーロッパの中での移動は断然列車がいい。自分が住んでいる街と行き先との間を、少しずつ縮めていく感じが好きなのだ。景色が変わり、空気の色も変わる。湿気の多い土地、太陽がさんさんと輝く土地。植物の種類も変わる。

イタリア北部から南部へ下る列車にミラノから乗り込み、フィレンツェまで行く。真っ黒に生い茂るモミの木から背の低い常緑樹へ。雪と霧のどんよりした景色から、いくつかのトンネルを抜けてトスカーナに入れば青い空が広がっている。トスカーナからアドリア海側の都市へ行く場合は、ボローニャで乗り換えてイタリアブーツのふくらはぎ上部あたりを横断する。カーブのあとのトンネルを抜けると左手に見えてくる青い海

あっという間に着いてしまうのでは面白くない。ゆっくりと景色を楽しむには、自分で車を運転するわけにはいかない。列車が一番だ。窓の外を流れる景色を見て、パニーノ(イタリア風サンドイッチ)を食べながら、期待感に胸を膨らませて気分はワクワクしてくる。

帰ることが出来るからこそ、旅はいい。

故郷から遠く離れて長年暮らす私にとっては、第二の故郷にすっかり馴染んだとはいえ、やはり「土地の人」にはなりきれない。かといって、故郷に帰ってみればもうそこには自分の居場所がないことを実感する。まるで根なし草のように頼りない。

しかし長旅の列車の中で、あるいは飛行機の中で、やけにほっとしている自分に気がつく。結局、移動している間が一番落ち着くとは、なんという皮肉だろう。考えてみれば、帰る場所そのものではなく、帰るという行為そのものを求めているのかもしれない。それは帰結の句点「マル」ではなく、まだまだ続くよの読点「テン」である。
時々、その
「テン」が永遠に、、、、、、、、、、、、、、、、、、続いてくれればいいなと思うくらいである。

旅路そのものが、もはや私にとって本当の故郷になっているのだ。

 

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