「スーパーキッズ 最低で最高のボクたち」(講談社 2011年 7月) YA(ヤングアダルト)小学校高学年以上

絵は平沢下戸さん
 

児童文学作家、書評家の皆さんからたくさんのご批評を頂いています。皆さまの許可を得て、一部をご紹介させていただきます。

児童文学作家の加藤純子氏
加藤氏のブログhttp://blog.goo.ne.jp/junko_blog/より

イタリアにお住まいの佐藤まどかさんだからこそお書きになれた、インターナショナルな冒険ストーリーです。
世界中から選ばれ,集められた「特殊な才能」を持つ子どもたちの住む地中海にある学校。
サブタイトルには「最低で最高のボクたち」と書かれていますが、とにかくこの子どもたち、サイコーです!
それぞれの「特殊な才能」が実に見事に、鮮やかに描かれています。生まれ育った国の味つけまで残しながら。

国も人種もさまざまな子どもたちが、ある日国際的なシンジケートに集団誘拐されます。
登場する世界各国さまざまな子どもたち、ひとりひとりのキャラクターがとても個性的で魅力的でおもしろいです。
とにかく、キャラクターの書き分けがすごい。

誘拐犯と格闘する暴れっぷりもスケールが大きくて、まさにインターナショナルです。
また、文章もテンポがよくて、ぐいぐい惹きつけられます。
力のある新人作家の、異色のYA作品が生まれました。

児童文学作家の高橋秀雄氏
(高橋氏のブログhttp://red.ap.teacup.com/busofmoonnight/1645.htmlより)

副題に「最低で最高のボクたち」とある。しかし、常識を超えたところで考えれば最高の子どもたちだろう。
主人公のぼくは音楽の天才だが、ひったくりやハッカー、偽造絵画の達人、そんな子たちが世界中から集まったインターナショナル アカデミー フォー スーパー キッズ。
そして、そんな子どもたちが、ローマへの遠足の帰りにバスごと誘拐される。
これからの子どもたちの活躍と友情は読んでからのお楽しみだが、かなり昔の西部劇「プロフェッショナル」を思い出した。
一人一人の持つ能力の結集は、誘拐犯を追い詰める。

こんなに国際的で子どもたちの最高の活躍を読める本が、今までにあったろうか。
7月、驚異的な子どもたちに出会える本が出た。

児童文学作家の ひこ・田中氏
(田中氏のメルマガ児童文学評論次号掲載分より

『スーパーキッズ』(佐藤まどか 講談社 2011)
リョウは6年生。他の成績はほどほどだけど、音楽の才能はずば抜けています。
理系命の担任に日頃から馬鹿にされているので、抗議のつもりで試験の解答用紙に楽譜を書き、母親が呼び出しに。
ぼろくそに言われます。

が、様々な才能に抜きんでている子どもを集めて育てる世界規模のプロジェクトがはじまり、リョウは音楽で合格し、
厳重に守られた地中海の学校に。
そこには、ハッカーからフェンシングの達人まで、スーパーキッズが集まっていました。

その中の一人、リョウと同室となる絵の天才ギガ。実は彼は世界的贋作絵画シンジケートで絵を描かされていた
少年で、捕らえられた後、身の安全のためにこの学校にきたのでした。
しかし、シンジケートは彼をついに見つけ・・・・・・。

それぞれの持つ能力を活かして子どもたちが大活躍するエンタメです。
秀でた能力を持っていることが決して幸せでもないこともちゃんと押さえて描かれています。

そして、イタリア在住の著者ならではの、地中海リアル感と、豊富な知識に裏打ちされた細かな道具立も楽しめます。

これだけのメンバーをそろえたのですから、続編必至です。

児童文学書評家の北村夕香氏(頂いたご感想を許可を得て転載)

面白かったです!
晩御飯時にやっているサスペンスで時々、役者さんも良いし、軽いタッチだし、なんとなく楽しく見ていたら、意外なほどズドン!と、くるときがある。そんな感じでした。
恋あり、アクションあり、友情ありで、ちょっと無防備に楽しんでたら、ぐっと来ました。

こんなに、好きなことを好きなこととして、長所を長所として誰に隠すことなく、遠慮することもなく、オープンにお互いに認め合いながら、過ごせるって何て幸せで豊かなことなんだろう。
理屈で考えたら、当たり前じゃんって誰もがいうかもしれないけれど、こういう実感とかってなかなか得られるものではないと思うのです。これこそ「物語」の力なのだと思います。

ミステリーの始まりのような、心地より幕開けでした。
無国籍風というのでもなく、グローバルという気負いもなく、本当に自然に、でも冒険心だけは胸に、海を渡っていく等身大の子どもたちがステキでした。

ミステリーでは良くあるかかれ方なのに、こんな脱日常の書かれ方が、児童文学でなされたことがあっただろうか?と自問すると、やはり読んだことがなく、無理なく、日常を抱えながらも、日常から離れていく、描き方、新鮮だったと思います。

事件と遭遇し、守りたい友達ができ、インターナショナルアカデミーという存在に、「是」とされた自分の能力が、自分の想像力の「枠」を越えて、動きだし自分と友を助ける。

友の能力が、その人の一部として、なんの混じりけもなく、その人であることとして存在する凄さ。
それは、やっぱり自分の能力をオープンにできることが、こんなにも自分を強くしてくれるということでもあると思うのです。

面白かったのが、みんな相手の才能については、結構ほったらかしなくせに、食べ物に関しては貪欲に相手(相手の国)を知ろうとしている。
相手の背景に対する、大らかな尊敬を感じるんです。こういうメンバーだからこそ、くだならい嫉妬なんかに落ちないんだろう。

きっと、この本が、人目にふれることで、それこそ作者の思いを越えて、人気役者がでてきてしまうに違いありません。
そしたら、その役者を売り出す義務、読者に対しての責任がうまれ、続編、書かねばならない作品になるかもしれませんね。)

書評家の浅井利之氏の書評(季節風2011年秋号より)

小学生から楽しめるYAの登場

作品の舞台となるのは、地中海の小さな島にある多国籍学校。世界中から優れた才能をもつ子どもたちを選抜し、高度の専門教育によりその才能を伸ばすことを目的とした学校だ。
経済的な理由でチャンスに恵まれない子どもたちを対象としたもので、並外れた音楽の才能に恵まれながらも音楽家への夢をあきらめていた主人公のリョウは、見事選抜試験に合格し、夢にむかって海を渡る。

フェンシングの達人や有名なハッカー、百メートルを十秒台で走るひったくりの少年など、人種や国籍を超えて集まった子どもたちのもつ能力はさまざまで、リョウはそんな子どもたちのずば抜けた才能に驚き、強い個性にとまどいながらも、自由に音楽を学ぶことの喜びを感じていた。

ところが、同室の少年ギガが国際的な偽造絵画のシンジケートの一味だったことをリョウは知る。ハッカーやひったくり、シンジケート……。
この学校は本当に子どもたちの才能をのばすための場所なのか。ひょっとしたら、はみだしものを集め、見世物小屋に出すための「養成所」なのではないのか。
学校に疑問を感じた彼は、自分の音楽への思いを問い直すことで、次第に子どもたちがそれぞれ抱えている問題にも気づいていく。

そんななか、ローマへの遠足の帰途、子どもたちの誘拐事件が起こる。
犯人は、ギガを追う組織の一味。リョウたちは、ひとりひとりが持つ能力を生かしながら、仲間を助けるため、命がけで誘拐犯たちと対決する。

特殊な才能を持つ子どもたちが、犯罪組織を相手に大活躍するという痛快なストーリーのYAで、ひとりひとりの背景もしっかりと捉えられ、事件をとおして子どもたちが互いを理解していく展開も説得力がある。

また、イタリア在住の作者ならではのリアルな作品世界も魅力で、質の高いエンタメとして楽しめると同時に、人と人との関係性や、私達の社会の在りようを問いかけてくる、読み応えのある作品ともなっている。

以前作者から、イタリアでは、ひとりひとり個性が違うのがあたりまえであり、みんなと違うという理由で子どもたちがいじめられることはない、との話を聞いたことがある。
裏返せば、いじめを生み出す日本社会の特異性を指摘した言葉だが、この作品が、多国籍の学校を舞台にしているのは、価値観も、生活環境も異なる子どもたちを出会わせることに意味があったからだろう。

そこでは、物事をひとつの価値観や常識を物差しに判断することはできないし、容易に分かりあうこともできない。あくまでひとりひとりが異なることを互いに受け入れ、相手を理解しようと努めることで、はじめて互いの距離を縮めることができるからだ。

分かるから、共感できるから仲間になるのではなく、たとえ分からなくても、互いに尊重し合える関係。学校のモットーは、「枠にとらわれない、独創的な考え方」だが、それを可能にするのも、他者や自分を縛ることのないこうしたゆるやかな関係性だと思うのだ。

誘拐事件の後でも、リョウとギガは、「たまに『会話』が成立する」関係だが、「じつはけっこうボクとは気が合うんだろう」とリョウは考えている。そんなふたりのつながり方のなかに、仲間かどうかの線引きとは異なる信頼関係をみることができるのではないか。

やりたいことを、思い切りやっていい。そんな作者のメッセージが、元気を与えてくれる作品だ。リョウたちの更なる活躍を期待!


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