イタリアの子供たち

ルポ 第1回

(「季節風」2008年新春号より4回連載した原稿を加筆修正))

 

子どもの頃、『黒猫のタンゴ』が大流行した。レコードをプレゼントしてもらって、毎日聞いては歌ったものだ。テレビでは、『トッポジージョ』(オリジナルはトーポ・ジージョ)や『カリメロ』を見ていた。
よく考えたら、どれもイタリア製だ。思えば、自分がイタリアに渡った理由には、こんな伏線があったのかもしれない。

それはさておき、イタリアに長年住んで見てきた子どもたちの事情を、これから数回に渡って連載させて頂くことになった。
第1回では、日本ではあまり紹介されていないイタリアの教育事情や一般的な子どもたちの事情を、大雑把に報告させて頂くことにした。

日本と違って、イタリアの子どもたちは大自然の中で遊んでいる…と書きたいところだが、残念ながら、同じようなコンピューターゲームに熱中しているのが現実だ。 
私はイタリア北部の商業都市ミラノに13年間住み、その後スローフードのメッカであるトスカーナの田園地帯に引っ越した。

でも、この二都市の子どもたちに、たいした差はない。確かに不良はミラノよりも少ない。もう少しのんびりしているし、健康的だ。
ただし、流行っているものは、ほぼ同じ。流行のグローバル化だろう。
田園地帯とはいえ、小学生はやはりプレイステーションやタマゴっちや任天堂DSなどに熱中している。中学生くらいになると、携帯電話でショートメッセージを送り合ったり、音楽やイメージをBluetoothで交換し合うのが流行っている。

都市と違うとすれば、日曜日には馬に乗って、ポッカポッカと、丘陵地帯を散策している子どもがいるくらいだろうか(勿論大人もいるが)。
さすがにこれはミラノでは見られない光景だ。

 

学校

イタリアは小学校が5年制(6―11歳)、中学校は3年制(11―14歳)で、ここまでが義務教育。米国のような飛び級はありえないが、幼稚園3年目を飛ばして、その間に塾で勉強をし、2年生に編入試験を受けて入ることができる。また、最近では小学校入学時だけ、早生まれの子は飛び級して一年早く入学できる。
これ以降は日本と同じ、順々に進んでいく。

ただしそれはうまくいけば、の話である。なにしろ中学になれば落第もする。近所の中学校では、今年6月の進級試験で、250人の1年生のうち、7人が落第したそうだ。
その子達が、9月からの新入生のクラスに混在している。

もっとも、落第したのは外国人が殆どらしい。コソボやアルバニア、ルーマニアからの移民が多いからだが、移住して来て最初の数年は、当然ながら国語についていけなくて落第する(イタリア語の文法は複雑怪奇)。重要な二科目以上と非重要な一科目以上でいわゆる「1」をとると、即、落第だ。重要科目とは、数学・国語・英語・第二外語・歴史・地理などで、非重要科目とは美術や体育・音楽・図面制作など(この区別には納得できないのだが)。

基本的に1クラスは最高25人までで、それ以上になればクラスを分ける。
外国人の生徒の割合は都市によって異なる。フィレンツェ近郊の工場地帯プラートやセスト・フィオレンティーノになると、クラスの3分の2が中国人になるという。その辺りは中国人による、繊維関連の下請工場が密集しているからだ。こういった学校における国語(イタリア語)レベルの低下が、大きな問題になりつつある。

高校は5年制(14―19歳)で、これは最初の2年以降は義務教育ではないものの、日本同様、現代では殆ど義務教育のようなものだ。
高校で一番難関といわれるのが、クラシック高校。文系の高校で、イタリア語以外にもラテン語やギリシャ語、哲学などの比重が重い。次が理系高校で、数学や科学・物理が中心だ。
他には芸術高校、語学高校、農業高校、商業高校、職人養成学校、テクノロジー専門校などがある。大学への入学許可を持つ学校は、いずれも5年制である。

高校は、それぞれの種類の高校別に(試験科目が違ってくるため)、同時に全国統一卒業試験が行われ、結構な人数が落第する。レ・プッブリカ紙のデータによると、今年の全国の高校5年生1万5千人のうち、卒業できなかったのは4パーセントだそうである。
だが、問題は5年生まで順調に行くかどうか、ということであり、高校にもよるが、大抵は毎年の進級試験で5%以上の生徒が落第する。最難関のクラッシック高校になると、入学してから5年生まで落第せずに行く生徒はどんどん減り、最終学年ではクラスの人数は最初の半数近くまで減っていることもあるというのだから恐ろしい。

大学の卒業になるともっと難しい。入学者の3割くらいしか卒業できなかったが、これは教育法の改正で、最近は改善されつつある。以前は一部の学部以外は基本的に望めば誰でも入れたが、最近は人数制限をしている。入りにくく、前よりは出やすいという方向になってきているのだ。
大学は、医学部など特殊な学部を除けば一般的には
3+2の5年制。EC共同体はこの2010年から統一された。最初の3年で日本や米で言うところの学士を取得。残りの2年で修士を取得。だが通常は3年でやめることはないので、基本的にECの大学卒業生はみな修士卒業ということになる。その先には博士課程がある。

中学校以降は、殆どの学校の授業は午前中だけだ。月曜から土曜日まで、朝8時20分位に授業が始まり、午後1時半頃に終わる。子どもたちは腹ペコ状態で慌てて帰宅する。

放課後のクラブなどと言うものは、残念ながら存在しない。学童保育などもないから、帰宅するのみ。共稼ぎの家は大変だ。大都市では共稼ぎが多いから、祖父母かベビーシッターが子どもの面倒を見る。

こういう背景がイタリアの出生率世界最低を誇る(?)理由のひとつになっているのは言うまでもない。しかしこの出生率は、ここ数年のおびただしい移民により、増加されつつある。移民は、経済状況が厳しくても、たくましく子どもを産んで育てるバイタリティがイタリア人よりある、ということだろうか。

さて、日本よりも早めに学校から帰ってきた子どもたちは、さぞかし遊ぶ時間が多いだろうと思うと、残念ながら大間違いである。中学生以上になると、宿題はほぼ毎日、3時間分くらいの量が出される。歴史や文学、地理などのレポート提出も1,2枚のペラペラのものでは通用しない。調べまくって10枚、20枚のどっしりしたレポートを書くのである。まるで小論文レベルだ。
としては、これには疑問を感じる。「子どもたちに自由時間を返せ!」と叫びたい。

娘は、夏休みに日本で「一時入学」というものを何度かしたことがある。公立の小学校に、1か月だけ入れてもらう方法で、海外在住の日本国籍も持つ子どもたちがよくやることである。その結果、両国の教育の違いを目の当たりにした。とはいえ、あくまでの小学校レベルのことだが。

 

教育

まずはイタリアの小学校教育の長所。筆記以外に口答試験がある。例えば「メソポタミア文明について述べよ」などという漠然とした質問から、「大脳の機能について述べよ」という、細部に渡った様々な質問がされるが、その度に指された生徒は立って答えなければならない。○×式の丸暗記ではなく、やはり根本が分かっていないと、しっかりと答えられないし、また内容を知っていても、相手を説得できなければ意味がない。

議論好きの欧米人だが、こんな小さい頃からディスカッションのベースを鍛えているのだなと、感心する。

議論がタブーにちかい日本では事情が違うが、これは別に喧嘩の練習ではない。理路整然と考え方を説明できるようになるための練習である。感情的につばを飛ばし合うことではない。欧米のビジネス、政治の場では、討論会、演説、話し合いなどの場面が多く、どんなに筆記が優秀でも、人前で話せないというのは致命的なハンディになる。

勿論、口答試験は中学、高校でも同じようにあり、大学ともなれば相当重要になる。厳しい顔つきの教授達数人の前で、聞かれた内容について詳しく、明瞭に語る能力を必要とされる。

次に短所。それは日本に比べ、実験や実践が少ないこと。学校にはプールもないし、理科の実験などというものは、小学校レベルでは殆どない。音楽も、体育も、日本の小学校の方が実践的だ。イタリアの場合は理論ばかりが先行している。オリンピックでも水泳選手が活躍するイタリアだが、実はカナヅチも多いし、音楽の国のくせに、意外に音痴も多い。

もうひとつの短所は夏休みが3ヶ月もあるせいか、残りの9ヶ月間がやたらに詰め込み式だという事だ。先述のように絶えず宿題の山で、子どもたちの生活には余裕がない。中学生くらいまでは、もっと遊ぶ時間が欲しいだろう。情緒を養っている時間がないというのは、ひどい話だ。そもそも、中学に入る時点で、まだ11歳である。まだまだ外で遊んだり、本を読んだり、絵を描いたりということが、一番大切な勉強だと思うのだが。

さらに、教科書のボリューム問題がある。ちなみに、イタリアでは毎年中高生のリュックサックの重量が大問題になるが、一向に改善されない。なにしろ、10キロ以上はある。ひどいときには20キロ近い。教科書の厚みは2センチ、しかも、教科書もノートもB5ではなくA4サイズであるから、ずっしり重い。背骨にいいわけがない。日本式に前期後期で分けたり、もっと小さいサイズにしたりなど、工夫できないものか。

ただし、中学校の教科書を覗くと、確かに厚みがある分、レベルは素晴らしい。特に美術、歴史、地理、科学、音楽、文法などは、これで中学生用か?と目を疑いたくなる充実した内容だ。大人にとっても十分読み応えがある。ただしそれを全部習得するかどうかは別問題だが。

高校や大学は勿論だが、小学校にも中学校にも卒業試験というものがある。全国統一試験であり、近年導入されたシステムだ。毎月ある試験の成績と、一週間にわたる筆記試験と、口頭試験、統一試験を総合して評価が10段階で出される。いわゆる5段階の5に当たるのはこちらの9で、10はエクセレントである。10をもらうのはクラスにひとりか2人くらいである。また学年にひとりかふたりくらい、10+という子も出る。これはもう特別賞だ。

さて、つい最近娘が中学の卒業試験というものを体験したが、これはすさまじい。

国語、数学、英語、フランス語(選択によってはスペイン語)の筆記試験が連続で3時間づつある。そのあと、全国統一試験が1日ある。これで数学と国語(非常に難しい長文読解と文法)。そのあとは週末をはさんで、今度は口頭試験だ。試験官が7人ほどずらりと並んで、外部からの教師も加わり、一人の生徒が30−40分延々と話をしなければならない。自らプレゼンテーションをしたり、質問に答えたり。これは全教科の内容である。

例えば第二次世界大戦の歴史、地理的な話から、同時代の音楽、美術、運動競技、技術など、あらゆることを、同じテーマで質問されるのだ。どのテーマが出るかはわからない。
しかも、英語の先生からは同じテーマについて英語で質問され英語で答えなければならないし、フランス語もしかり。

これでは大人だってオタオタすることはまちがいない。 内弁慶の典型である娘が、そういう場できちんと話せるのかどうか不安だったが、さすがにイタリアで鍛えられているだけあって、いざとなると度胸が据わるらしい。40分ノンストップで論弁を続けた後、いきなりフルートを出してプーランクのソナタの第1楽章をほぼミスなく吹いた。後ろで見ていた生徒たちや試験管の大喝采を受けて、娘は深々と頭を下げていたという。本人より控えている親の方が冷や汗ものである。私は仕事で日本に行っていたので居合わせなかったが、夫はそこにいて、手に汗を握ってたらしい。
ちなみにオフィシャルな口頭試験はイタリアではオープンであり、だれでもその場に居合わせることができる。フルートを響かせた時には門衛さんや掃除のおばさんまで駆け上ってきたらしい。

 

クラスメイト

イタリアにいじめの問題が全くないわけではない。しかし、子どもの自殺というのは殆どない(そもそも、自殺はキリスト教徒にとってタブーである。自殺者は天国に召されない)。

記憶が正しければ、いじめが原因で自殺した例は、ここ数年で一件。大都市の高校生で、東南アジアからの移民の子だった。しかしイタリアで生まれ育た彼は言葉の障害もなく、別に人種差別でいじめられたわけではなく、成績もトップクラスだったらしい。しかし、ゲイだとからかわれたのを苦に、自殺をしてしまった。社会問題として、メディアに大きく取り上げられた。

イタリアには移民が多い。ヨーロッパの玄関口として、アルバニアやチュニジアからは難民ボートが毎日のように来るし、陸続きでルーマニアやコソボからも入ってくる。中国人も多い。
そういう国だから、学校の教室にはいろいろな人種が混在している。肌や髪の色も様々。言葉も様々。いろんな人がいて当たり前になっているのだ。

さらに、特殊学級というものがない。重度の身障者用の施設があることはあるが、基本的には、普通学級に混在する。脳性マヒの後遺症言語に障害がある車椅子の子どもでも、普通のクラスに入る。

娘が通っていた小学校のクラスにも、イタリア語が殆ど分からないコソボやルーマニアからの移民が4人と、重度の弱視の女子と、知的障害のある男子がいた。しかし休み時間ともなれば一緒に遊んでいたし、彼らがいじめられていたことはないという。授業中、障害を持つ2人には、補助の先生がついていた。

イタリアはヨーロッパ第2位だかの高税率を誇るが、もし税金がこういうところに使われているのなら、払いがいがあるというものだ。幼年時代から、自分とは違う人の存在を認めること、身体障害者を特別扱いせず自然に受け止めることといった、昔日本にもあったはずの「当たり前の人間性」が養われるベースではないだろうか。

ちなみに、この知的障害のある少年に関して、娘やその友人たちは次のような評価をしていた。
「あの子は成績は悪いけど、頭が悪いわけじゃないのよ。悪さはしっかりできるもん」


流行


さて、子どもたちの間で流行していることの話に戻って、どんなものか少し覗いてみよう。


テレビアニメは多くが日本製。ここ数年で人気だったものはといえば、勿論、世界中で大ヒットしたポケモンを筆頭に、ドラえもん、
おジャ魔女ドレミ、ドラゴンボール、セーラームーン、ふたりはプリキュア、ケロロ軍曹など、日本と同じパターンだ。
最近イタリア製のアニメ「WINKS CLUB」がヒットしたが、これ以外は殆ど日本製である。

やや残念なのは、日本製アニメは暴力的なものや、目ぱちくりで個性のない同じパターンばかりが多いという親同士の評判だ(確かに多くはその通りかもしれないが)。
宮崎駿氏のアニメは、映画祭で受賞したこともあって、知る人には高く評価されている。しかし「ハイジ」は別格として、「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」以外には一般にはあまり普及していない。ただし運よく映画館やDVDを借りて見た子どもたちは、熱狂的なジブリファンになっていることが多い。
一般人でも分かりやすい「となりのトトロ」「魔女の宅急便」などの、暴力のない名作があまり紹介されていないのは残念だ。(「アルプスの少女ハイジ」は長年に渡って、繰り返しテレビで放映されているが)。

一方、子供向け映画の方は主に米国製。人気はやはりピクサー&ディズニーコンビだが、アニメ以外のここ一年のヒット作といえばやはり、「ハリー・ポッター」シリーズ、「カリブの海賊」シリーズなどだろう。

玩具は米国ブランドが多いが、いずれにしてもメイド・イン・チャイナである。女の子の一番人気はやはりバービー人形と、小さな、高さ五センチくらいのポーリーポケット人形シリーズ。

男の子向けは、その時流行っている番組や映画のキャラクターが多い。例えばミスター・インクレディビルのときは、そのキャラクターのフィギュアというように。女の子向けのような、永遠のキャラクターというのがないのが面白い。男の子の方が飽きっぽいのだろうか?
電子ゲームは、日本とほぼ変わりない。半年くらいずれているだけだ。ゲームボーイ、プレイステーション、タマゴっち、任天堂DS、Wiiなど。

いずこも同じである。


スポーツ


学校の課外クラブというものが存在しない国のため、スポーツは個々で、私営・市営のスポーツクラブに入るしかない。学校の体育の時間は週に二時間あるが、ちょっと体操をする程度で、殆ど何もしない。日本のような本格的な体育は中学校以降だ。従って、親は必然的に「万年運動不足」になっている子どもたちを、どこかのスポーツクラブに(週数回)通わせなくてはならなくなる。

基本的には北部イタリア人の方がスポーツ好きで、経済豊かさもあるが、アルプスに囲まれているおかげで、週末はトレッキングやスキーを楽しむ子どもたちが多い。スキーヤーの殆どは中北部の出身である。
南部は海に囲まれている割には泳げない人が多いが、数年前にオリンピックの水泳競技でナポリ出身の金メダリストが出てから、突然ナポリで水泳クラブの申込者が殺到したと言う。

イタリアは南北の貧困の差が激しく、南ではお金のかかるスポーツクラブに通わせることができない家庭も多い。南部の貧困層の少年達の夢は、多くが「サッカー選手になる」ことだ。お金のかからない草サッカーで身体を鍛え、いずれはプロにスカウトされることを夢見ているのである。

トスカーナなどの中部イタリアでは、それ以外のイタリアにおけるマイナースポーツも盛んである。例えば、バレー、バスケット、フェンシング。どれも世界大会でイタリア人が活躍する競技の割には、全国レベルで言うと人気がない。

また、最近は、野球も少しづつ広まってきた。子どもたちに限らないが、空手・柔道も相当に広まってきている。近年のオリンピックにけるイタリア人選手の活躍により、それまで全然流行っていなかった水泳が、非常に流行している。

ちなみに娘の小学五年時のクラスの中で割合を見ると、スポーツをしている子どもは24人中、19人。サッカー3人、フェンシング3人、バレーボール2人、バスケット2人、水泳2人。また、クラシックバレエ、乗馬、床体操、テニス、陸上、ローラースケート、柔道が1人づつという具合である。

ところが中学に入ると、勉強が忙しいせいか、25人中バレーボール3人、バスケット1人、サッカー1人、水泳2人、あとは「時々遊びでやる」程度で、週に数回(水泳は毎日)というレベルではない。実際娘も数年前にフェンシングをやめて、10歳からは音楽院(Conservatorio)だけに通っている。これが週に4回もある(個人レッスン、ソルフェージュ、オーケストラ、コーラス)から、スポーツまで手が出ないのが実情だ。

 

児童書

子どもたちの本離れは世界的傾向らしいが、イタリアもしかり。勿論、読書好きの子供達はたくさんいる。ただし、書籍の値段が日本よりもはるかに高いこと、地区ごとの図書館が充実していないことなどの理由から、ハンディがあるように思う。

また、先述のように、学校の宿題が非情に多く、中学生(11歳から)になると、家でも毎日3時間は机に向かっていないといけない。これに、やれ水泳教室だのピアノだのという稽古事が入ると、友達と遊ぶどころか、ゆっくり本を読む時間もあまりない。もちろん学校で宿題として出される本は別だが。中学などで読まされる典型的な本は、マンゾーニの「婚約者」そしてダンテの「神曲」である。

結局、休日かバカンス中でもない限り、読書が好きでも本を読む時間は余りない。夕方は宿題をこなすだけで終わってしまう。現代っ子の友であるテレビでさえか、見るのはせいぜい一日2、30分だろう。

しかし夏休みの3か月間は、子どもたちにとって、まとめて読書をするよい機会だ。欧米ではどこも大体同じ期間、夏期休暇になる。この期間、最低でも1冊は読まないと、夏休み明けに国語の先生から読書感想を質問されても、答えられない羽目になる。

普段から読書をする子は、夏休みに、ハリーポッターやナルニア物語のような厚い本なら5・6冊、もう少し薄い本もあわせれば10冊くらいは読む。

売れる本というのは、本屋の広告や平積みの問題ではなくて、結局口コミがものをいうようだ。噂の力はすごい。あっという間に広がる。

数年前から流行ったのが、魔法使いの少女「二ーナ」シリーズ(岩崎書店から翻訳が出ている)。作者はMoony Witcherという英語名のペンネームになっているが、本名はイタリア人そのもの。月―Moonと魔女―Witchをひっかけた意図的ペンネームで面白い。発売当初はそれほど広告されていなかったが、噂であっという間に評判が広まった。小学生から中学生まで幅広いファン層を持つ、ベストセラーのひとつである。

もうひとつ、日本でもフレーベル館から翻訳されているが、世界的なベストセラーになったのが、イタリア産の「ジェローニモ・スティルトン」シリーズだ。主に小学校の中・高学年向けだ。本屋に行くと、児童書のコーナーの数割を埋め尽くしている勢いである。探偵役のネズミ、ジェローニモがいろいろなフィクション、ノンフィクションを語るものだ。活字のサイズが頻繁に変わったり、色が変わったりという動きのあるページを流行らせた本でもある。イタリアの児童書の中で、もっとも「漫画寄り」な部類だろう。その見かけと裏腹に、案外モラルが強い。読書好きの子どもにとっては「物足りない」そうであるが、本嫌いだった子どもたちを本屋に近寄らせたということで、その貢献度は計り知れない。
面白いのは、これの特定の作者が実はいないということである。作者=ジェローニモ・スティルトンということになっているが、作者のアイデンティティはあくまでも不明。イタリアの出版社の内部の数人が、組んで書いている、という噂だ。

最近口コミで人気急上昇しているのが、Silvana De Mari(シルヴァーナ・デ・マーリ)という作家だ。元外科医で、エチオピアに医療ボランティアに行った経験を持つ作者の、独特の文体が面白い。とくに彼女の処女作「ひとりぼっちのエルフ」(早川書房)は、ハリポタを横目に、静かなヒットを飛ばしている。こちらは小学校高学年から中学生向け。エルフという、小人(小妖精)エルフ族の最後の一人の少年の冒険物語だ。読んだ子どもたちは皆、大声で泣くらしい。

さらに、20世紀のイタリアを代表する(児童)文学作家である故Italo Calvino(イタロ・カルヴィーノ)や故Gianni Rodari(ジャン二・ロダーリ)の作品も、ロングヒットを続けている。傑作は、時を越えて愛され続ける。
少女漫画のような表紙や挿絵の児童小説の本は、イタリアでは今のところあまり見かけない。

日本の若年層には「ケータイ小説」が流行っているようだが、携帯電話への依存度が非常に高いこの国でも、こういったものが流行する日は遠くないかも知れない。また、I-PADはイタリアでも結構普及し始めている。

 

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