1987年。
大きなスポーツバッグひとつを抱え、知人がいるわけでもなく行ったこともないイタリアに、単独で移住した私は20歳そこそこ。怖い者知らずだった。
それでも多少は治安(というより、噂に聞いていた手の早いイタリア男)を気にしてミラノ近郊の女子専門の宿に入った。そこは地方から出てきた女性がアパートを見つけるまで一時的に住む短期滞在型の女子寮だったが、中には何年も暮らしている人もいた。年齢も職業も出身地も事情も様々な、不思議な宿だ。共通しているのはと「遠くから来た期待と不安を抱えた若い女たち」ということ。一階の受付とトイレ、風呂場、テレビ室、キッチンは共同使用。門限は23時。
勿論その時代にはミラノに住む日本人は少なく、しかもそんな霧深い郊外の女子寮の外国人は私一人で、寮では大変物珍しがられた。
二日後、皆が歓迎パーティでカフェをご馳走してくれるというので、いそいそと一階のキッチンへ降りた。南部から出て来て数週間という女の子が、使い古した大きなアルミのエスプレッソ沸かし器に水を入れ、カフェの粉を入れスプーンで押し付けてから上部をぎゅっとねじ回し、火にかけた。
十人以上の女達がその回りでわいわいがやがやお喋りをする。いろいろな質問にたどたどしいイタリア語で答えながらカフェが出来上がるのを待つ数分。しばらくすると
ゴーグワグワップシュプシュー!
という大きな音がして辺りに良い香りが立ち込めた。日本には当時本物のカフェ・エスプレッソなどというものは珍しかったから、私にとってそれが生まれて初めてのイタリアン・カフェだった。
「どうぞ!」
と渡され手にした小さなカップを見たが、何も入っていない。いや、よく見れば底の方にどす黒いタールのような数滴が張り付いている。彼女はナポリ人なのでかなり濃いエスプレッソを好むのだということが今では理解できるが、当時そういう事情を知らない私は驚いた。
―ちぇっ、ケチ。こんなちょっとじゃ飲んだ気しないじゃん―
そのままブラックでその数滴を口に含んだ私は目を丸くした。なんてもんじゃない。口をゆがめている 私を見て皆が大笑いした。これをきっかけに、言葉の壁を乗り越えてあっという間に輪の中に入ることができた。そんな“苦い経験”のカフェ・エスプレッソも今では毎朝欠かせないものになっている。
ゴーグワグワプシューという音は一日の始まりを告げる鐘のようなもの。これからも宜しく、カフェ・エスプレッソさん。
© 2007 madoka sato all rights reserved