ハーフじゃないよ、ダブルだよ!

ミラノの病院で娘が生まれた時、看護婦が血相を変えて言った。

「あ!お尻にアザが…」

重い出産でヘトヘトになっていた私は、脱力感にぼんやりしながらも看護婦に蒙古班のことを説明しなくてはならなかった。幸い、医師は分かっていたからよかったが。イタリア人の旦那には前もって説明していたから問題なかったが、退院後に家に戻った時、姑は看護婦と同じようにびっくりしていた。「まあ、可愛い私の赤ちゃん。パパに似て目が大きくて良かったねぇ。あら!この青いアザはなに?」

ベビーカーに子供を乗せて公園に行けば、色白でどんぐり目の娘と私と比較して皆が言った。「まあ、かわいらしい。ところであなたはベビーシッターでしょう?」

しかし成長するにつれて、娘はやはりミックスの顔立ちになった。確かに目は大きいが、彫りは浅いし鼻は低い。
髪は黒いが、猫の毛のように細くクリンクリンの天然パーマ。

彼女が三歳の時、ミラノからトスカーナの丘陵地帯に引っ越した。東洋人があまりいない土地だけに、学校では上級生に「やーいチネジーナ(中国人)」とからかわれ、その度に「私はジャポネーゼ!それにパパはイタリア人」と小さな声で言い返していたらしい。小学校に入り、社会科の授業で人種のことを勉強している時には、クラスメートのいじわるな女の子に「あら、黄色人種なのにあんた色が白いわね」と言われたとか。仲良しの友達がみんなでかばってくれたのが嬉しかったらしい。

九歳になった娘はイタリア語はペラペラだが、日本語はかなり幼稚なレベルだ。毎週土曜日にはフィレンツェの日本語補修校に通っているとは言え、やはり普段小学校はイタリア語なのだから当たり前なのだろう。

オリンピックや世界選手権をテレビで見る時は複雑だ。日本が出ていればソファの上に立ち上がって応援をするが、イタリアが出れば勿論イタリアの応援。万が一日本対イタリアの場合、娘はママとパパの顔を交互に見て、「うーん、困ったなあ」などと言って私達を笑わせてくれる。

去年の夏休みに日本に帰国した時、娘を小学校に一時入学させてみた。最初は恥ずかしがっていたが、言葉を覚えるのに良い機会だったから、娘も納得して行くことにした。ただ、イタリアの小学校との違いに最初は驚いたらしい。理論中心で宿題が山のように出るイタリアと違って、日本の小学校は理科の実験や体育の水泳など、面白いことが山ほどある。三日ほどもすると日本語もみるみる上達していった。

マンマ日本の学校は毎日楽しいよ。私、日本の学校がいいな!」と上機嫌。給食に嫌いな牛乳が出るのには辟易したみたいだが、頑張って飲むようになった。教室の掃除を生徒がする、というのも物珍しかったらしい。

ある日娘が学校から帰ってきてしょぼくれていた。「日本のみんなはテツボーができる。くるくるって回ることができるんだよ」イタリアには公園にも学校にも鉄棒というものがないから、彼女はびっくりしたのだ。でも仕事も兼ねて日本に帰っている私は彼女に鉄棒を教えてあげる時間がなかった。その時、体育会系の私の母が横から口を出した。

「そうか。じゃあ、おばあちゃんが特訓してやる。そんなの一日で覚えちゃうよ」

そしておてんば婆さんの特訓幸い、娘はすぐに逆上がりなどができるようになった。翌日は手に豆をたくさん作って痛そうにしながらも、得意気な顔で「いってーきまーす」と登校した。

たったの二週間とはいえ、娘は日本の学校にすぐ馴染み、理科の実験を楽しみ、水泳を満喫し、逆上がりまで覚えた。トビヒという余計なおまけまで貰ってしまったが、良い思い出になったに違いない。

数ヵ月後、学校から帰って来ると必ずポストを覗く娘が大声を上げた。

「日本からわたし宛に手紙が来ている!」

開けてみれば一時入学した時のクラスの子供達と先生から、手紙がぎっしり入っていた。一枚一枚読みながら、娘は感動したらしく目を真っ赤にしていた。それから何時間もかけて絵入りの返事を書いていた。毎年日本に行くことはできないけれど「今度行く時もまた一時入学をしたい」と、彼女は言っている。

トスカーナのイントネーション丸出しのイタリア語でギャグを言いながら、解凍した納豆沢庵を載せたご飯を頬張る娘は、やっぱり半分日本人。いやいやハーフじゃない、ダブルだ。日本人とイタリア人のダブル。成人するまでは国籍だってダブルだしね。

世界のダブルの子供たち、頑張れ!!

 

 

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